詩篇5篇

指揮者のために。フルートに合わせて。ダビデの賛歌。

5:1 私のことばに耳を傾けてください。主よ。私のうめきを聞き取ってください。

 ダビデは、主に祈り求めました。耳を傾けてくださることを願ったのです。それは、また「うめき」でした。彼の心からの求めであるのです。また、その祈りは、次節のように叫ぶ声でした。彼の心からの叫びです。

 この祈りの具体的な内容は、八節に記されています。それは、ダビデを待ち伏せている者がいたからです。その人たちに対する裁きを求めたのです。

 ダビデは、そのことを言い表す前に、多くのことを祈っています。彼は、そうしていただくことが、主にとってふさわしいことを訴えているのです。すなわち、この祈りは、自分中心の求めではなく、神様の栄光のための祈りであるのです。

5:2 私の叫ぶ声を耳に留めてください。私の王私の神私はあなたに祈っています。

 彼は、主に対して、「私の王、私の神」と言い表しています。彼は、祈り求める相手の方について、この方が支配者であり主権者であることを言い表しているのです。ですから、自分の思い通りに事をなしてくださる方として呼び求めているのではないのです。

5:3 主よ朝明けに私の声を聞いてください。朝明けに私はあなたの御前に備えをし仰ぎ望みます。

 彼は、朝明けに祈りました。その時、彼は備えをして、主を仰ぎ望んだのです。この備えは、神の前に出るにふさわしい備えのことで、正しい者であることです。

 また、見張るのです。これは、自分自身を見張ることです。主の前に出て祈るのにふさわしく備え、自分を見張ります。ぎなる神に求めるのですから、自分自身がそれにふさわしい者である必要があるのです。

・「仰ぎ望み」→見張る。警戒、識別、忠実な報告。

5:4 あなたは悪を喜ぶ神ではなくわざわいはあなたとともに住まないからです。

 この節の冒頭には、理由を示す接続詞が使われています。ですから、この内容は、三節に語られたことの理由として示されています。三節の備えは、正しさです。見張ることは、自分に不正がないかどうかを見張るのです。

 神は、不正を喜ばず、悪もまた、神とともには住まないのです。原語には、「〜もまた」を表す語があります。

 なお、「悪」と訳されている語は、「不正」のことです。

 「わざわい」と訳されている語は、「悪」と訳される語でもあります。わざわいは、神の裁きや懲らしめあるいは試みとして与えられるものであり、不正あるいは悪とは、本質が異なり、ここに列挙することはできない言葉です。正しい者に対しても神はわざわいを与えることもあるのです。ですから、「わざわい」は、あなたとともに住まないとは言えないのです。ここは、悪と訳すことが適切です。

5:5 誇り高ぶる者たちは御目の前に立つことはできません。あなたは不法を行う者をすべて憎まれます。

 誇り高ぶるとは、神の言葉に対する高ぶりで、自分を高くするのです。そのような者は、「神の目」の前に立つことができません。ここでは、「目」が取り上げられていて、高ぶりが信仰と関連付けられています。目は信仰を表していて、神は、信仰を受け入れられる方であることを表しています。そして、その信仰を人に要求なさるのです。高ぶりは、信仰によって神の言葉を受け入れることをしないことです。

 さらに、不法を行う者は、神の言葉に反して行動する者のことです。神は、そのような者を憎まれます。

 この言い表しは、神様の正しい者に対する神様の取り扱いと悪者に対する取り扱いの違いを取り上げ、正しい者の祈りを聞いてくださることの根拠にしているのです。

5:6 あなたは偽りを言う者どもを滅ぼされます。主は人の血を流す者や欺く者を忌み嫌われます。

 そして、自分の不正だけでなく、他の人に対して悪い影響をもたらすことに対しての神様の取り扱いが取り上げられています。

 「偽りを言う者」は、神の教えに背くことを語る者のことです。神の言葉を正しく伝えないのです。また、自分の考えを主張するのです。そのような者の語る言葉の影響は、大きいのです。神様は、そのような者を滅ぼされます。もう、そのようなことをすることができないようにされるのです。

 人の血を流す者や欺く者は、忌み嫌われますま。人の幸いを図らないのです。人が命に歩むことを妨げ、滅ぼすのです。これは、霊的には、信者の間にも起こることです。この世の生き方を他の信者に語る者は、その人を滅ぼす者です。神の言葉に従って生きる命の歩みを壊すのです。欺く者もそうです。教によって、誤りに導くのです。神の言葉を扱う者の責任は重いのです。

5:7 しかし私はあなたの豊かな恵みによってあなたの家に行きあなたを恐れつつあなたの聖なる宮に向かってひれ伏します。

 そのような悪を行う者に対比して、ダビデについて言い表されてます。まず、神の家に行くことです。それができたのは、神の「恵み」によることが言い表されています。この「恵み」の原意は「契約に対する忠誠」です。彼が宮に行くことは、彼の信心深さを表しているということではなく、ダビデが契約を守っているので、それに対する神様の応答として、契約を忠誠をもって履行し、ダビデを神に家に行くことができるようにされたということです。

 彼は、神の家に行くこと自体が、神様の契約に対する忠誠によることを覚えていましたし、そのように生きて働かれる方の御名が置かれた宮において、主を恐れるのです。彼は、宮に向かってひれ伏しました。

 教会も、主の御名ものもとに集まっています。神様が集うことができるようにしてくださったのです。ダビデのように恐れることは幸いです。それにふさわしい振る舞いが現れることがふさわしいのです。

5:8 主よ私を待ち伏せている者がいますからあなたの義によって私を導いてください。私の前にあなたの道をまっすぐにしてください。

 ダビデは、待ち伏せしている者がいることを知っていました。その時、彼が求めたことは、義によって導いていただくことです。すなわち、彼が神の目にかなった真っ直ぐな正しい道に歩むことを願ったのです。

 普通は、敵対者から守られることをまず願うことをするものですが、しかし、彼は、神様のお取り扱いに目を留めていたのです。御言葉のうちに生きる正しい者に神様が祝福を与えることに目を留めていました。

5:9 彼らの口には真実がなく心にあるのは破壊です。彼らの喉は開いた墓。彼らはその舌でへつらうのです。

 その待ち伏せしている者たちは、口に真実がありません。「真実」は、「確かなことあるいは確固たるもの」のことです。原意は、「設立する」です。これは、続く、心にある「破壊」と対比されています。人を霊的に確かなものとして打ち立てるような言葉がないのです。それは、神の教えの言葉とは真逆です。

 心には、破壊があります。人を堅く立たせるのではなく、人が躓いてしまうようなことを図っているのです。

 彼らの言葉は、死をもたらすのです。喉は開いた墓です。

 そして、その言葉は、へつらいの言葉で、決して鋭い言葉ではないのです。人に取り入るようなことを語り、甘い言葉なのです。しかし、その言葉は、人を霊的には躓かせる言葉なのです。

5:10 神よ彼らに責めを負わせてください。彼らが自分のはかりごとで倒れますように。その多くの背きのゆえに彼らを追い散らしてください。あなたに逆らっているからです。

 そのように、彼らがしていることは、神に対する背きなのです。人を陥れ、滅ぼそうとする働きなのです。神様が人を神との幸いな関係の中に歩ませようとすることとは、反対のことなのです。ですから、神様が裁いてその責めを負わせてくださいと願いました。

 彼らが、自分の謀で倒れますようにと。彼らが自分の目的を果たそうと図ったことで、彼ら自身が躓くように求めました。神様は、その行いにふさわしい裁きをされます。

 そして、彼らが追い散らされるようにと。神の業をなすのにふさわしい者たちではないのです。むしろ、彼らの存在が民を躓かせるのです。彼らは、神に逆らっているのです。彼らは、いないほうが良いのです。

5:11 どうかあなたに身を避ける者がみな喜びとこしえまでも喜び歌いますように。あなたが彼らをかばってくださり御名を愛する者たちがあなたを誇りますように。

 そして、彼は、民の幸いを願いました。それが、神様が求めておられることであり、彼自身の問題の解決ということにだけに彼は目を向けていたのではないのです。

 そこで求めていたことは、主に身を避ける者たちが、みな喜ぶことです。彼らは、正しい者たちです。主は、それに答えてくださるのです。それによって、彼らが永久までも喜び歌いますようにと願いました。

 神様が彼らに答え、かばってくださることで、彼らが神様を誇るようにと願いました。悪者たちは、自分を誇り高ぶっていました。しかし、この人たちは、神の御名を愛する者であり、自分を捨てた者たちです。彼らの目は、主に注がれています。自分自身を見ていないのです。ですから、自分を誇ることがありません。無に等しい者に目を留め、求める者に答える主の偉大さを誇るのです。

5:12 (なぜならば)主よまことにあなたは正しい者を祝福し大盾のようにいつくしみでおおってくださいます。

 冒頭に理由を示す接続詞が記されています。これは、十一節の説明になっています。主に身を避ける者が喜ぶ理由です。彼らは、正しい者たちであるのです。すなわち、神の言葉を守る者たちであるのです。そのうえで神を求める者たちです。主は、彼らを祝福されます。さらに、いつくしみすなわち好意で覆ってくださいます。神がそのようにしてくださるのを知って喜ぶのです。神の栄光を見るからです。